1950年(昭和25年)〜。

初代社長、相羽信太郎が
戦時中、軍属として赴任していた昭南島(シンガポール)より帰国。
アメ横のマーケットにて商売を始める。

やがて、現在地において輸入婦人下着の店を開店。
トリンプ他のブランドを扱いながら徐々に国産の婦人下着も販売するようになる。

巷では朝鮮戦争も終わり、明るいファッションの話題が世間を賑す様になる。
50年には「男子専科」DANSEN創刊。54年にはMEN'S CLUBの前身、
「男の服飾」創刊、中原淳一「ジュニアそれいゆ」創刊。

オードリー・ヘップバーンの登場で、クリスチャン・ディオールを中心とする
「パリ・モード」志向から、「サブリナ・ファッション」へ一足飛びに変化する。
聖徳太子の1000円札登場、次いで岩倉具視の500円札。
紅白歌合戦が始まり、53年にはテレビ放送がスタート。
力道山がシャープ兄弟と戦ってイケイケムードの日本列島!

アメリカではキングオブロックンロール「エルビス・プレスリー」がデビューした!
1955年(昭和30年)〜。

男性輸入下着「JOCKY」 販売開始。
徐々に輸入物のメンズ・ウェアの展開を始める。

巷では、石原慎太郎・裕次郎兄弟の太陽族ファッション、
プレスリーやジェームス・ディーンのリーゼントを真似たロックンロールファッションが大人気。

「週間明星」「週間平凡」の創刊で、イカすナベプロのロカビリー旋風にシビレまくっていた。

トヨペット・クラウン、プリンス・スカイライン次いでスバル360、ダットサン・ブルーバードが発売され、マイカーブーム一歩手前。
ホッピングやフラフープで浮かれる内に、遂に登場
背番号3、長嶋茂雄のデビューだ!
アメリカでは、プレスリーが「エドサリバンショーに出演し、
視聴率82.6%を取るも、58年からの2年間の兵役で
ロックのダーティさが徐々に消えていく・・・
反動としてポール・アンカや二ールセダカの明るいPOPSが人気に。
ロックはやがてインストルメンタルへ移って行く。
そして59年、シアトルからベンチャーズが登場した!
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